かがり、カガリ、篝
彼が私の名前を呼ぶたびに
彼が私をその瞳に映すたびに
彼が私の髪を撫でるたびに
跳ね上がる鼓動が――――
ひどく切なくて、ひどく愛しいの…
「いやあっ、やめてよ!!かがりちゃん!!!」
「うるさぁい、いいじゃない。この間、あんなに足引っ張ったんだからさ。少しくらい、あたしの暇つぶしの相手してよ」
きゃんきゃんとまるで子犬のように高い声で、泣き喚く彼女の黒い髪を掴み、ほんの少し力をいれれば、じじっと焦げる音がした。
いいにおい、と思わず、舌なめずりすれば目の前の彼女は更にその顔を恐怖に歪める。
本当にいい性格してるわね、あたしも。
自分でもわかっているが、この性格も含めてのあたしなのだから、もうどうしようもない。
「かがり、そこまでにしときなよ。そうやって、いじめるから泣くんだろ」
「え〜?だって、つまらないじゃない。彩花がいなくて、任務がなくて。じゃあ、他に何をしてればいいの?ねぇ、お兄ちゃん?」
「トランプくらいなら付き合ってあげるよ」
「ぷっ、あははは!トランプね!仕方ないなぁ、いいわ、それで」
兄の間抜けな提案に毒気が抜けてしまい、つかんでいた髪を離す。
あたしの触れていた部分がじゃっかん縮れてしまっていた。
それに謝罪もなく、あたしは兄のもとへと歩いていく。兄は既にトランプを手に、カードを切っていた。
「何がしたい?」
「え〜っと、そうね〜。大富豪!」
「却下」
「なんでよっ」
「かがり、ルールよく分かってないだろ」
「むぅ…じゃあ、七並べ!」
「はいはい、じゃあそれね」
ようやく対戦方法を決めると、いさりが切られたカードを配り始める。
切られたカードは、いさりとかがりの前に一枚ずつ数回に分けて配られていく。
手札から、7のカードを取り出し目の前に並べる。
「ふむ、これは少々厳しいかな」
「ふっふ〜ん、じゃああたしの圧勝かしら?」
互いの手札を見やって、対照的な表情をする。
にまにまと楽しそうにしてるのがかがり、顎に手を当てて考えこむようにしているのがいさり。
似たような顔をしているが、性格は正反対だ。温厚ないさりと苛烈なかがり。それがそのまま、能力にも現れている。
そのとき、室内へと通じる
ドアが開く音がした。
「あ、帰ってきた!おねえちゃ〜ん」
入ってきたのは、あの黒髪の少女と瓜二つの少女だ。
帰ってきた姉に、颯爽と駆け寄っていく妹はまだ少し涙目のままだ。
まったく、どんだけ泣き虫なのかしら。
そう思いつつも、かがりはその泣き顔にそそられるのだから、随分と酷い性癖の持ち主だ。
すると、妹が抱きついてきたことにだいたいの事態を把握した姉が、かがりをきっと睨みつける。
だからといって、かがりの視線はカードへと向いたままだ。兄がスペードの6を出した。
ひどい、持っていたのならさっさと出してくれればよいのに。
今度は、自分がハートの5を出した。
「かがり!また、いじめてたんでしょ!!」
「いいじゃない、暇だったんだもの」
「だからってねぇ――――」
「どうかしました?」
不意にわりこんだ声に、かがりの鼓動が高鳴った。
同じ年頃の兄よりも、ほんの少し高いアルトとテノールの間の音域。
その声の持ち主が誰かなんて、見なくても分かる。しかし、かがりは今まで見ていたカードからすぐに視線をそちらへと移動させた。
「彩花、おかえりなさいっ」
カードを放り投げて立ち上がり、ぱたぱたと軽い足取りで彩花へと駆け寄る。
後一歩というところで、かがりは立ち止まる。抱きつくことはしない。
それは、まだ彼女には許されていないことだから。
しかし、彩花はそんなかがりにかまうことなく、騒ぎの中心であった姉に声をかける。
「それで、どうしたんですか?先ほどの騒ぎは」
「それが、またかがりが――――」
「分かりました。かがり、これ以上騒ぎを起こすようでしたら仕事を回しませんよ。後で、私のところへ来てください」
全てを言い終わる前に、彩花はそれだけ言うと踵を返す。ふと、気づくとドアの前には蜜歌が来ていた。
「あ、彩花…!」
かがりが咄嗟に彩花を追いかけようとするも、彩花はその足を止めることなく部屋を出て行った。
その後ろには、当然のように蜜歌が追従する。
こういうとき、いつも思うのは彩花のパートナーである蜜歌のことだ。どうして、蜜歌は彩花のパートナーになれたんだろう。
どうして、私はこんなにも彩花のことを考えてしまうのだろうと。
言いようのない想いが、重く心にのしかかって息がしづらい。
最近、このような状態が続いている。
なんでこんなにも、蜜歌に対してうらやましいとか思うんだろう。
立ち尽くしたかがりに、彩花のところに行くまで答えが出ることはなかった。
真っ暗な月明かりだけが光源の室内へと静かに足を踏み入れる。
少しずつ暗闇に目が慣れてくると、ぼんやりと一人座っている人影が見える。
夜闇のように綺麗な黒髪と鋭い瞳。
その瞳が真に自分に向けられることが何よりの喜びであった。
かがりはゆっくりと足音を立てないように、その人影へと忍び寄った。
「今日も機嫌が悪かったのですか?」
人影は未だ外の月を見つめたまま、言葉を落とした。
ひっそりとした声音の問いに、かがりは思わず頬を染める。
以前このようなことがあったとき、かがりは彩花に「機嫌が悪かったから」と言い訳したのだ。
彼はその言葉を覚えていてくれた。そのことがかがりは嬉しかった。
「うん。そう。機嫌が悪かったの」
「そうですか…。では、あなたが今後このようなことが起きないようにするにはどうすればよいのでしょうね」
「彩花がずっと私の前にいてくれればいいのよ」
「無茶を言いますね」
まるで子供の言い分に、彩花は笑ってようやくこちらへと振りむいた。
逆光となった彩花の表情は見えない。だけど、もたらされる雰囲気がとても穏やかで心地よい。
かがりはゆっくりと彩花へと手を伸ばす。彩花の白い頬に、かがりの指が躊躇いがちに触れる。
彩花はそれに特に異を唱えず、されるがままになる。
さわり心地の良い頬から名残惜しげに手を離し、かがりはゆっくりと膝を突いて彩花の膝へと頭をおいた。
「………怒らないの……?」
彩花は基本的に『めぇ』以外にこのように触れられることを厭う。それはパートナーであるからだというのは、重々理解している。
かがりだって、誰かがいさりに対しこのような振る舞いをしていれば文字通り烈火のごとく怒り出すだろう。
でもそれを分かっていたとしても、今のかがりはただそうしたかった。
「……怒ってほしいのですか?」
「ううん。ねぇ、彩花、頭撫でて」
「はいはい」
頭上でくすりと笑った吐息がこぼれた。かがりはそのまま優しい手に体をゆだねる。
とくん、とくんと心臓の音が速い。
あぁ、そうか。私は――――。
目を閉じて、静かにその掌を感じている。
「彩花」
「なんですか?」
「彩花、私にあなたをちょうだい……?」
「無理ですね」
「あは、ひっどーい。即答?」
目を開いて、かがりは頭を起こす。下から覗き込んだ彩花の瞳はどこまでも深かった。
断られてもかがりは特に何も思わなかった。だって最初から手の入らないものだと分かっていたから。
「ねぇ、かがり。私にはめぇだけなんです。だって、パートナーなんですから。ねぇ、かがりもそうでしょう?」
「うん、そうね。私もパートナーはいさりだけだわ。……だけど、あなたを想ってもいいでしょう?」
「おやおや、酔狂ですね。決して私はあなたのものにはなり得ないのに」
「いいの。分かってるわ。だから………あなたの言葉を私に頂戴」
祈るように。懇願するように。
かがりは視界が少しずつぶれていくのを感じた。目頭が熱い。
どうしてこんなに苦しいのか分からない。
辛くても苦しくても、この初めての恋が愛しいと想うから。
だから。
「あなたの一番じゃなくていい。二番じゃなくていい。だから、せめて私にあなたの言葉を頂戴。そうして、ほんの少しでいいから私を見て。それだけでいいの」
頬を何か熱いものが滑り落ちた。クリアになる視界。
それもまたすぐにぼやけてしまう。
でもほんの一瞬見えた彩花の表情が、切なくなるほど綺麗な顔をしていたのが印象深かった。
「かがり。ボクは君のものにはなりません。でも、あなたが望むとおりあなたに言葉をあげましょう。可愛いかがり、ボクのために生きて、そして死んでください」
「うん………うん…。いいよ、私は彩花のために生きてあげる」
手をぽたぽたと頬を伝った涙が、彩花の着物に黒い染みを作っていく。
それから彩花はずっと私の涙が止まるまでずっと頭を撫でてくれていた。
その掌が温かくて、私は気づかないうちに眠ってしまっていた。
そうして私はあなたのために生きていける権利を手に入れた。
(誰のものでもない)あなた(の言葉)を頂戴