「班長、忘れないでください。あなたは確かに俺のパートナーでした」
そう静かに言った彼に、自分は何も出来なかった。
嫌だとお前のパートナーは俺だけだと子どもじみた独占欲で持って彼の言葉を否定すればよかったのか、それとも置いていかれることへの恐怖感から彼に見捨てないでとすがればよかったのか。
今となってはもうそれは分からないけれど。
ある晴れた日の午後。
唐突に雨丸はそう言った。微笑んでいた彼の表情からは、常と変わらず一切の他の感情が読み取れなかった。
すると、不意に彼は自分の目の前に一通の封筒を差し出してきた。
嫌な予感はした。受け取る自分の手が一瞬だけ、躊躇した。
「受理……していただけますよね?」
「……何故…と聞いてもいいか?」
「………気になります?」
少しだけ困ったように眉を下げた彼は、ただ笑うだけで理由を語ろうとはしなかった。
そのことに自分もまぁ言わないだろうなと漠然と思っていたので、それ以上を尋ねることはしなかった。
「急なお話で申し訳ないとは思っていますが…、来週の初めには発つ予定なので今週中に受理をお願いします」
「来週って、いくらなんでも急すぎるだろ…」
来週にはもう国内にいないと言う彼に、思わずためいきがもれる。このような内容の書類を出すにはいささかどころかかなり遅すぎる。
最低でも1ヶ月は見積もってしかるべきだろう。
そう言うと、彼はさらに困ったように眉を下げる。
「本当に突然なのは、重々承知しています。でも、どうしても受理していただきたいんです」
そこで初めて彼はその言葉に感情を乗せた。
焦燥、恐怖、そういった感情が彼の中で荒れ狂っているのだろう。
それほどまでに彼は何故に焦り、何に恐怖し、何を渇望しているのだろうか。
その興味は尽きることはないが、それでもそこは己にとって不可侵の領域である。
ただ一人だけそこに踏み入る権利を持つ者こそが、その感情の元となっているのだろう。
「はぁ………なんとなくだけど、なんかあったんだろ」
思わず片手を頭に添えて、視線を下げて何度目かのため息をつく。
視界に入ったのは未処理の書類たち。決済印。お気に入りの万年筆。
そのどれもが先ほどまでしていた作業を思い出させるのだが、今はどこか遠いものを見ているかのようだった。
「………言いたく、ありません」
「別に、誰も聞いちゃいねぇよ」
「すみません」
「謝罪を求めたわけでもない」
「……………ありがとうございます」
「よし」
しばしの逡巡の後、返された言葉に本当に彼の心からの気持ちがあって。
不意に目の前が薄い膜で覆われていくような感覚がした。
あぁ、これはあれか。泣く一歩手前ってやつか。
他人事のように、思う自分を一人嗤う。
そのまま視線を下に向けたまま、彼に指示を出す。
「しゃあねぇから、今週中にはちゃんと受理してやる。それまでに完璧に引継ぎを行っておけ。後、みんなには俺は言わないからな。お前が言えよ」
「分かりました、ありがとうございます。班長」
「分かったら、さっさと次の書類もってこい」
「はい。失礼します」
彼が一礼して、室内を出て行く。気配が遠ざかってから、ようやく自分は顔を上げた。するりと頬を何か冷たいものが伝った。
声は震えてはいなかっただろうか。いつものように振舞えただろうか。
なんて、くだらない矜持だろう。それでもパートナーに無様な姿を見せたくはなかったのだ。
たとえ後1週間足らずで解消される関係だとしても。たとえ彼の唯一になれなかったとしても。それでも。
今この瞬間は自分は彼のパートナーで在れるのだ。
だとしたら、残りの日々をどう過ごすか。
それが何より重要な仕事だろう。
そう思いたち、豪奢な椅子から立ち上がり、大きな窓から空を見上げる。
どうせなら、ここを羽ばたく彼をほんの少しだけかごにとどめておくのもいいかもしれない。
ほんの一週間程度だ、なぁ許してくれるだろう?
俺の最愛にして最高のパートナーよ。
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最終回から何年後かの希望。
彩花様に何かが起きて、それでどうしても何よりも側にいきたい雨丸と引き止めたくてもできない王太