「王太!おい、王太!!」

狼は足から血を流して横たわったその幼い肢体を抱き起こした。王太を挟んで対面には、狼のパートナーである遠矢が脈を測っている。


「気絶しているようです。ですが、失血の状態から考えてすぐにでも医療班を呼んだ方がいいでしょう」

「そうか」


狼はそれを聞くと王太の体を背中に背負った。


「狼?」

「遠矢は医療班に連絡しろ。途中まででも背負っていけば時間が短縮できるだろ」

「それもそうですが…」


遠矢は視線を横にスライドさせ、今はただの亡骸となってしまった敵の姿を見た。遠矢の言いたいことは狼には分かっていた。だが、今は生きているものを助けるのが最優先だ。


「お前の言いたいことは分かってる。とりあえず医療班にここにも来るように言っとけ」

「分かりました」


王太を背負った狼と遠矢は足早に出口へと駆けていった。
誰もいなくなったそこに、交通課の象徴でもある白と黒のパンダが置かれていたのには誰も気づいていなかった。



*********


「ねぇ、めぇ?どうして、そんなに泣いてるの?」

「泣いて…る?」


雨丸はそう言って自身の頬を触った。その時初めて自分が泣いていることに気づいた。今、現在雨丸と彩花がいるのは、式典のあったビルから程近いビルの屋上。
侵入にも使ったそこは今現在撤収作業に慌しい縁のメンバーが走り回っていた。
そんなメンバーの傍ら、いかにもリーダーらしい彩花は特に何をするでもなく。ただようやく手に戻った宝物の傍を離れようとはしなかった。


「そんなに嫌だったの?所属してた班の班長を撃つのが」


優しげに問いかける彩花の目には、その声からは微塵も伺いしれない怒りがあった。
決してパートナーとは認めない。決してパートナーとは言わない。
だから彩花は敢えてそう形容しているのだ。そのことを雨丸は気づいている。だからこそ、これ以上彩花の怒りに触れないようにして雨丸は未だ流れている涙を袖で拭った。


「大丈夫、だよ。別に、平気だよ」

「本当に?じゃあ、次に行こうか」


くすくすと笑いながら、彩花は雨丸の涙を掬う。そのまま頬を撫でて、綺麗な笑みを浮かべる。


「つ、ぎ…?」
「そう、だって、まだ私たちを引き離した人に復讐してないでしょう?」


ひどく楽しそうに酷薄な笑みと一緒に彩花は雨丸の手を握った。


「ね?今度はちゃんと出来ますよね?」


まるで、子供にお使いを頼むかのような軽い口調に雨丸は眩暈すら覚えた。記憶の中の彩花はこんな風に笑う子だっただろうか。それとも自分が気づいていなかっただけ?


「い、やだ。彩花。お、俺はもうしたくない…!誰も撃ちたくない…っ!」


一度は収まった涙がまた見る見るうちに許容量を越えて、頬を伝う。いやいやと首を振る仕種にあわせて幾筋も跡を残していく。雨丸のそんな行動に困ったように、ほんの少し首を傾げて彩花は握った手を更に強く握り締めた。


「だって、めぇは私との約束守ってくれるんでしょう?」


まるで呪文のようにその一言で雨丸の心は彩花に捕まった。
優しいままじゃ、何も出来ない。ただひたすらに冷たい氷の檻に感情を閉じ込めてしまわなければ、守れないのだ。
あの暖かい優しい場所を。大事な人たちを。
あの時、彩花は本気で班長を殺すつもりだった。雨丸の現パートナーである小枝王太を。そうすることで自分の居場所を取り戻すつもりだった。だが、雨丸はそれを拒んだ。
そして、彩花は言ったのだ。


『優しいあなたに私から優しさという名の免罪符をあげましょう』


彩花の言うことに従えば、何もしないと。彩花からは何もしないとそう言った。
だから、雨丸は彩花の言うことに従った。そして、――――班長を撃った。
今思えば、あの甘い言葉を拒否していればこんなことにはならなかったのかもしれない。
でも、結果は変わらなかったのかもしれない。


神様、教えてください。


俺はどうすれば、大事な人を守れますか?




伝った涙を拭うその手が、言った言葉と反対に暖かかったのがひどく印象的だった。



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雨丸の中では、大切な人には彩花もちゃんと含まれてますよ(笑